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公園さえも画一化されていく世間に違和感を覚える

 

どうも、くす太です。

 

雨が降らない日はランニングを続けている中で、日々の生活では目にかけない公園を目にすることが増え、その中で感じたことを今日はつらつらと書いていきます。

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タイトル通りに「公園さえも画一化されている世間に違和感を覚える。」という内容です。

 

 

 

 

ポエム的な

「学校というものが教育の中で画一化された人を作り出す機関である。」

ということは、ここ数年で知ることになったことなんですが。

 

画一化された人ばかりを作り出すのはこれまでは良かったのかもしれませんが、人口が減っていく日本において、加えて、SNSが世界的に普及していったことによって、画一化された人がたくさんいようとも、生産も上がらず、面白味に欠ける集団を生み出していると感じる現代です。

 

画一化された人の価値を考えてみると、AIやロボットが今以上に進歩して生活に当たり前にある状態になることは予想されていることであり、そうなった時の世界に画一化された人というのはどのような必要性があるのかが疑問に感じる部分であり、AIやロボットこそ画一化された人の上位互換となる存在というのはすでに周知のところ。

 

教育というもののアップデートは一部の業界では望まれたものとなりつつも、世間が世界が変革しているということから目を瞑り、盲目的にこれまでと同じようにいることこそが正義と考えている集合体は依然として変わらず存在し続ける為、変化を望む人たちと、望むからこそ行動していく人たち、変化を望まず行動しない・他を否定する人たちの格差は増していくことが発信されていることもあります。

 

十人十色、多種多様。

人1人をとっても同じ人もいない。

遺伝子レベルで考えても、クローン人間はいないとするのであれば同じ人はいない。

同じ境遇の、全く同じ環境で、同じ生活、同じ成長を遂げる人もいない。

人は同じではないというのは至極当然の摂理。

であるならば、教育という洗脳にはまらず、自分を知り、自分が望むことに耳を傾け、行動の時間を費やしていく。

 

※以下は過去記事です↓

【社会常識という洗脳からの解放!未来は自由だから今を楽しめ】堀江貴文さんの【すべての教育は「洗脳」である-21世紀の脱・学校論-】読了〜子育て世代にもオススメの一冊〜 - くす太net

 

これが大事なことであり、現代を生きる人にとって難問である。

 

つまるところは、考え、動く。

人も動物である所以。

いざ行かん。

 

 

今日見たもの

子どもの頃や数年前に訪れた時は、その公園の独特な遊具というか、雰囲気というか、そういったものを感じたんですが、最近の公園は遊具自体が同じような素材で作られており、画一化されてしまっているなと感じました。

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あの公園に行けばあの遊具がある、この公園に行けばあの遊び場がある、向こうの公園だからこの遊びができる。

 

以前はこういった公園の使い分け、みたいなことができていたように思います。

今の子どもたちにもそれはあるのだろうけれど、遊具だけをとって見てみると、どこもかしこも同じようだなと感じてしまう。

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その中でも子どもたちに面白い、楽しいを感じられるようにしたい。

そんな着地をした本記事です。

 

にしても、すぐに怒ってしまう感情暴れん坊の自分の操縦方法を学ばなければ。

 

 

では。