くす太net

『くす太』というマンション管理コンサルタントの雑記ブログ。書評・ランニング・日常のことまで。たま〜にマンション管理について。

自分じゃない誰かや社会の為というけれど、色々考えてみると「全ては自分の為。」というのが本質だと思った。でも、それでも寄り添い支え合える社会が良いし、そんな自分でいたい。

どうも、くす太です。

 

2017年から(もっと前からかもしれませんが)、これからは集団ではなく個人の時代になると言われるようになりました。

というか、よく見聞きするようになったと思います。

 

様々な有名な方が書籍やテレビなどで発信している内容としては、

お金は我慢の対価として得るものではない

ということです。

 

これからの時代は個人の好きが仕事となり、逆に好きが仕事でなければ人工知能:AIに取って代わられるだろうとも言われています。 

 

そんな中、個人の好きが重要視されるようになる時代において、いや、今までも、そして現在においても、その個人である自分の行動について、一体どこに決定権があるのか、行動理由は何なのかなどについて考えてみたところ、

 

本質は「全ては自分の為。」という考えに至りました。

 

仕事のこと、働くということ、プライベートのことなど、様々な自分自身、人として、生命体として与えられている時間を、人はどうやって・何の為に使おうと判断しているのか、について思ったことを書いています。

f:id:kusutanet:20180118001017j:image

 

※社会の為、若者の為、高齢者の為など、素晴らしい心意気や信念を持っている方々を否定する意図はありませんので、予めご了承下さい。(こういったことを先に書いてしまう自分が少し情けなくもある。。)

 

 

自分の行動は誰が決めているか、意思は?

私もそうですが、何か行動を起こす時というのは無意識のものと意識的なものがあります。

 

無意識なものというのは、反射的な行動や習慣なものがあります。

意識的なものの場合、必ず、どこかの時点で、動き方を決定しています。

そして、その決定権は自分にあります。

 

今の時代、仕事や働き方についての話が非常に多く聞かれますが、自分の行動に対して決定権を行使する時というのは、日々の些細な出来事に関してもそうですが、恋愛や友情・悩み・後悔・楽しみ、自分の子どもや家族・彼女・友人などの自分以外の誰かの為、などがあります。

 

否定でも何でもなくて、会社の同僚や友人たちと仕事について話をしていると、

家族の為に

彼女の為に

など、自分以外の誰かの為に働いているといった言葉を聞きます。

 

この言い分は確かにそうで、理解できるし納得できる部分はありますが、考えを深めてみると、なんか違うなと思ってしまいます。

 

言い方を悪くしてみると、この言い分っていうのは結局誰かのせいにしているように聞こえてしまいます。

 

本当にその誰かの為であったとしても、誰かの為にしたい!と思った自分の判断で行動に決定を下しているわけで、自分が決めた行動に言い訳をしてはいけないと感じます。 

 

結局のところ、どんな環境・状態にあろうと、行動を決定するのは自分であり、その行動は 

「自分の為でしかない。」

というのが本質なのだと思います。

 

全ては自分の為、と意識することは大事だと思います。

これを意識していないと、自分の行動を他の誰か・何かのせいにしてしまい、常に他責の人生となってしまいます。

 

他責というのは実際にあるかもしれませんが、全てが他責で日常が流れていることはなく、ほとんどの場面が自分の判断で行動を決定しています。

 

本質的な部分ではありますが、「全ては自分の為」に行動している・決定しているということを意識していれば、日常の些細なことから、重大なことまで、あらゆる自分の行動に真剣になれると思います。

 

今は昔のように、学校を卒業しておかないといけないとか、会社に就職しないといけないとか、結婚しないといけないとか、こういう常識はなくなりつつありますし、そういった昔でいうところの非常識を応援する社会にもなっています。

 

可能性は無限です。

年齢でも、性別でも、住んでいるところでも、縛られているわけではありません。

全ては自分の為に行動しているんです。

なら、楽しくあるべきです。

f:id:kusutanet:20180121222708j:image

 

寄り添える、助け合える社会が最高!自分もそうありたい。

どんな行動も、信念も、最終的には「全て自分の為。」のものであるというのが私の現時点での考えではあります。

 

この点で誤解されたくないのは、全部の自分の為を考えて行動しているのだから、

全て自己責任だ!!

と考えていると思われてしまうことです。

 

自分が置かれている境遇やその時の環境などによって、物理的にも心理的にも、判断が狭められたり、選択肢がなくなってしまったりすることがあります。(極端な例ではありますが、ゴッドタンで髪切り対決をした際の劇団ひとりさんとキングコング西野さんの状態など)

 

全ては自分の為を考えて、行動する判断を下しているということは本質として理解しておいた方が、いざという時の判断をより理想とする自分に近付けるものへとすることが出来ると思います。

 

ですが、その判断が正常に出来ない時もあるでしょうし、自分の行動にストップをかけてくる周囲があったり、わざと足を引っ張るような人もいたりすると思います。

 

自分の人生をかけたいと思えるような物事や夢、目標、仕事が見つかった時に、思い切って踏み出せる人もいれば、少しずつ行動を起こせる人もいるし、全く行動を起こすことが出来ず、その場に立ち止まり、時間だけが過ぎてしまい、自己矛盾で心に負荷をかけてしまう人もいると思います。

 

動き出せない人の心の中には、見えない未来に不安を感じて立ちすくんだ、その人自身がいます。

f:id:kusutanet:20180121222819j:image

 

今でこそ見えない未来に不安を感じた時に、助け船を出す人や集団が増えてきましたが、ちょっと前であれば、未来に対して不安しか煽らない人たちばかりで、踏み込んだことがない世界であるにも関わらず、無関心であるにも関わらず、無遠慮な言葉を投げかけるというのが普通だったように思います。

 

心の中にいる立ちすくんだその人自身を、支え、助け、ともに行動しようとする社会が最高だと思いますし、そんな自分でありたいと思っています。

 

色んな人を支え、助け、ともに行動していける自分自身になる為には、私自身が様々なジャンルを縦横無尽に動いて理解・実践することも大事かもしれませんが、そういったスペシャルな人材になる以外に、多くのジャンルの人たちと知り合い、仲間になっていることも大事だと思います。

 

インターネットが完全に世間に普及し、SNSも一般的になっている現代。

本質的な部分で繋がる人たちとの出会いはとても大切で、新時代の繋がり方のようにも感じます。

 

言うは易しで終わらずに、一歩一歩、着実に進んでいきたいと思います。

 

では。

f:id:kusutanet:20180121222849j:image